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2017年3月7日火曜日

うちのスタッフ

洋画コースは学部、院を含め現在教員総勢23人。美術科事務局スタッフ2名。そしてSA.5人。総勢30人が皆さんのスクーリングやテキスト添削などのお世話をしています。
先生方はこのブログで授業風景や添削風景、また各先生の展覧会のお知らせ等で
皆さんにはおなじみですが、
今回はスタッフ、SA.さんの紹介をしましょう。(全員ではありませんが、)
前々回のブログでお知らせした淀でのグループ展、STUDIO  HAIDENBANから。


昔むかし。学生時代に淀で回転木馬などの遊具塗装のアルバイトをしていた時に、
淀って、競馬と町工場の場所だなあという印象がありました。
京阪沿線のこの街は、淀城趾もあるし、鄙びた商店街など懐かしい匂いのする所だと。
けれど今や京阪淀駅は巨大になり、競馬場は超立派。ジャンパー姿のおじさんたち以外にも若い競馬フアンも増えているそうです。
そういうところに近年作家の工房やこのSTUDIO HAIDENBANのような若い作家の共同スタジオがあります。そのひとつが上の写真のハイデンバン入り口(カタカナで失礼)です。

お知らせしたように2週にわたり週末オープン。ハイデンバン・スタジオで制作する人たち、そして近くのもう一つのスタジオの制作者たちの合同展覧会でした。
展覧会?っていうのかしら? 
ここでは5つのブースに2人づつの展示が行われていました。

スタジオハイデンバンの主催者が洋画教員の西垣先生。
昨年から1年担当の若い先生です。下の絵は西垣先生の作品です。



素材は墨とのこと。怪獣と文字が絡み合い、絵か文字かが不確か不明ですね。
見るほどに、何かが壊れていくような、
文字の意味を追いかけてしまうような、変な心地です。
文字が西垣先生の画面に登場したのを見たのはかれこれ4、5年前だったでしょうか?
大学院時代には、ほとばしるような色彩の抽象を描いて、巨大なインスタレーションも同時に行っていました。現在はこの怪獣シリーズ? 和紙にモノクロームの世界。





                                      西垣肇也樹先生

このハイデンバンスタジオに今回展示されている他の方の作品も少し。



                     











西垣先生と同じ空間で展示の竹内さん。(上下とも)。
大学院では西垣さんの1年下。同じモノクロームで目玉が並んだみたいな作品。(ごめん)
この目玉(失礼)は3つのバージョンで描かれていて、少しづつトーンが変えられています。 竹内さんによると、同種の玉が4つ並ぶと、それらの形が消えて、他のものが浮かび上がるそうです。そういわれるとそのようにも見えるし、一種の視覚錯覚?
距離を取って眺めるとイスラムのアラベスクの様に見えました。
かれもまた大学院修了からがらりと変化しました。竹内君はSA.ではありませんが、
精華大学で事務の仕事しています。

次の作品は今年から事務局美術家のスタッフの一人になった廣田郁也さんの作品。





上下とも廣田さんの作品ですが、素材は何だと思いますか?
支持体は綿布。それを染料で染めています。正確には染め上げる処置はしていないとのこと。フラットな画面ですが不思議な質感があります。
この展覧会を見て感じた事は、一人一人が自身の素材感を大事にしていることですね。彼の場合も院時代からピンクという色彩。それも染料という発色と布という質量が大事なのかもしれません。
描くのではなく染めという行程のなかで独自な方法があるのでしょう。

こだわりという意味では次のこの人。
SA.ではおなじみの和田直祐さん。





作品の周囲にほのかに彩りを持つこの作品はカシュー樹脂を塗装しています。

学生時代から彼の制作室は黒い塗装室というか、人とは同室で制作できない塗料の匂い充満の部屋でした。作品を磨き上げてピカピカにしたり、ともかく作業場ではピカイチ。
汚れていたっけ…。
それがどうでしょうか、この美しいグレーとホワイトは。
黒々調の世界から一転しました。
今京都の近代美術館で「山田正亮の絵画」展が開催されています。和田さんのものとは違う絵画性と作者思考深淵なミニマルな展覧会ですが、近美にいかなくては…。って
思いました。

ハイデンバンでの他の皆さんの作品をおみせできずに残念ですけれど、
造形大のスタッフのと作品がここで少し紹介できたのは嬉しいことです。
また他のSA.の皆さんも徐々に行いたいと思います。

最後は洋画のスタッフの元締め朝日奈保子さんの作品を。
昨日から、大阪の0ギャラリーeyesで二人展を開催中。

マイクロフラクチャー(小さな破砕)と題されたこの展覧会で、朝日さんは次のような作品を展開。
「記憶の隙間に潜む微細な印象を」朝日さん独自の方法で描いていきます。

日記のようにして毎日つけていたクロッキー帳から今回の制作が始まったそうです。






記憶って、いい文字だし、美しい言葉やね。
いい記憶も怖い記憶も、自分の中には層をなして堆積しているのだけれど、決してひとつひとつが鮮明ではなく、それらの重なりが、微妙に連鎖して心に映像を生み出すのでしょうか。今回の朝日さんの絵を眺めて、そんな風に感じました。
ぜひお出かけください。(K.)