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2016年2月7日日曜日

「ジョルジュ・モランディ展」を観て

今日は、昨年12月の初旬から現在開催中のジョルジュ・モランディ展(兵庫県立美術館)を紹介しましょう。
展覧会を案内して下るのは由井武人先生です。

ジョルジュ・モランディ—終わりなき変奏
会期     2015128[]2016214[]
兵庫県立美術館
開館時間 午前10時~午後6時(金・土曜日は午後8時まで) 入場は閉館30分前まで



「見に行く前からそれがいいものであることが分かりすぎていて逆に見に行くのが面倒になる展覧会がたまにあります。


来週の2/14まで兵庫県立美術館でやっている「モランディ展」がそれでした。
 
実際に観に行って、もちろん良かったです。

いい作品に出会った時の感動や幸福感は頭でどう考えようと体が勝手に反応し、それは体験としてとても素晴らしいものです。
しかしここ23年、いい作品かどうかは自分にとってそれほど大きな関心事ではなく、
なぜそれが描かれたのかに興味があります。

おそらく今自分自身がなぜ絵を描くのかをもう一度考え直しているタイミングだからだと思います。
学生時代からモランディについては気になっていることが2つありました。1つは、なぜずっと限られたモチーフでモチベーションが保てたのか?





もう一つは、モランディという画家は同時代のピカソやマチスほど作品の持つ先見性が分かりやすくないように感じていて、モランディの作品と作者自身を時代の中でどういう風に見ていいのかが曖昧だったことです。
学生時代から漠然とあったこの2つの「?」マークは、展覧会をいつも通り観ているうちに大きな興奮へと変わっていきました。


ぼくは巨匠クラスの単独展を見る時、だいたいまず作家の誕生年を探します。
ほとんどの場合最初のパネルに掲載されています。
そして気になる作品があればキャプションを見ます。

タイトルを気にすることはまずありませんが、制作年を見てどういう時代に何才で描かれた作品か知りたいからです。
19481950年代後半くらいの作品の前では自然と足が止まり、絵が反射する優しいグレーの光にとても居心地のいい幸福感を味わいました。
というか会場にあった多くの絵がその時代のものでした。
とくに1948年と1949年は奇跡的なほどいい作品がたくさん描かれていて、どこか田舎の素朴な教会でこれが一点だけかかっていたら泣いてしまうかもなと思いました。
モランディが58才くらいの頃の作品です。

30代や40代の頃の作品と何が違うんだろうと思って何度も会場を行ったり来たりしました。
そして鉛筆のヒョロヒョロとした線で描かれたクロッキーをもう一度見た時に、これまでのモランディに対する「?」マークがやっと実感としてつかめたような気がしました。







「なぜ、ずっと瓶というモチーフで描き続けられたのか?」という疑問、そもそも違いました。

モランディは最初から瓶など描いていなかったのです。

それは瓶と認識する以前のそういう形をしたものであり、重なって見えるシルエットや隙間の形が絵画にもたらす効果を探っていたのだと思います。
構図に重きを置いた作家ということはなんとなく分かっていましたが、モランディの魅力ある謎めいた言葉や、社交から距離をとりイタリアの田舎にこもって真摯にモチーフと対峙し続けた孤高の作家という一般的なイメージによって、作品の中で追求されている造形性や先駆的な部分が曖昧になっていたのだと思います。

年表を見ても愕然としました。ちょうど19481950年代くらいの間にヴェネチアヴィエンナーレとドクメンタで大賞をとっていたのです。


当時の人々が彼の作品をピカソやマチスと同じように「最も進んだ絵画」として受け取っていたということです。

形を壊し再構築していったピカソ、

色彩を固有色や自然の再現から解き放ち絵画のために還元していったマチス、

限られた形と色の中で神秘的なまでに配置や構図にこだわったモランディ。

20世紀の巨匠たちは絵画における造形性をそれぞれのセンスで追求し切り拓いていきました。

作家にとってうらやましくもあるワクワクする時代です。時代は違うかもしれませんが志は彼らと同じでありたいと思いました。」



いい言葉ですね。

私もモランディ展参りました。
とても贅沢な展覧会で、気持ちを残して帰りました。
皆さんに鑑賞をお勧めします。


東京ステーションギャラリー 2/20-4/10

岩手県立美術館  4/16-6/10のの巡回もあるようですね。

(モランディ作品画像は美術館ホームページから抜粋ですので、本文と直接関わるものではないかもしれません。 
 由井先生、モランディの紹介をありがとうございました。  K.  )