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2013年4月25日木曜日

【展覧会報告】

《石田歩展》

 昨日のブログの中で書いていた、石田歩先生の工作少年ですが、早速昨日昼に行ってまいりました。今日はその報告と、通学で少し感じたことの報告です。

 まず、石田先生の展覧会ですが京都地下鉄松ヶ崎駅を降りて、やや東南に少しあるけばすぐに京都工芸繊維大学があります。造形大からいくには京福電車の修学院駅から歩くことになります。
 用事の合間に車で駆けつけたので、守衛さんに頼んで用事や連絡先などなどを書き込んでからカードをもらい、場所があればゲートをあけてもらってやっと駐車、加えて会場で証明印を押してもらった用紙を受け取り帰りに守衛さんに返すという手間なことでした。さっさとコインパークへ入れて見に行けばよかったと思った次第です。

 工芸繊維大学はご存知浅井忠画伯も教鞭を執った国立の学校ですが、その敷地のど真ん中に美術工芸館という展示館があります。
 お世辞にもおしゃれとは言えないやや堅苦しい感じの会場に入場料200円を払って入館、美術館ほど広くない空間ですが展示室としてはまずまずの広さ、そこの一室と二室に亘って石田先生の工作作品がたくさん展示されていました。
 「よくもまあ、こんなマニアックな(失礼!)工作をたくさん作ったものだ!」と感心もし、家での保管を心配するぐらいの量の作品を拝見しました。
 中々壮観なので、みなさんにも雰囲気をお伝えしようと会場写真か何かを撮影しようと思ったら「写真はお断りしています。」と言われましたので画像はありませんが、案内状の画像拡大やびわ湖ビエンナーレのYou tubeなどから想像してみてください。
http://www.youtube.com/watch?v=utx9ssWJDjk

 トロッコ島をはじめ、実物大トロッコや機関車、トロリーバスやカメラ、風景スケッチやメモ的なアイデアデッサン、設計図?などなどが所狭しと展示されています。
 その工作の精密度からみると入場料の200円は美術館でみるぐらい見ごたえがありました。
 石田歩という造形作家の制作の核心を見るには絶好の機会で、特に私のように長野や金沢での美術館展示を見逃した方は必見ですよ!(Y)




《通学授業での話》

 さて、話は変わってその後の通学三回生の授業内での話。
水曜日に元通信教育部におられた東島毅先生と授業をやっていますが、今年から通学大学院博士課程に在籍する立野陽子さんがティーチング・アシスタントとして指導に参加してくれています。
 彼女は筑波大で電子工学を学んだあと、本学通信教育部へ入学、通学の大学院へ進学し、修了後作家活動をしていましたが、今年から博士課程に再入学したとても勉強熱心な人です。

 東島先生が僕は週末大原美術館の内覧会と篠山紀信のオープニングへ参加しましたが、みんな週末は芸術に関連する何をしていましたか?という質問に立野さんが京都国博の狩野山楽・山雪展に行ってきましたという応答。じゃあ、それはどんな印象でしたかという会話で始まりました。
 立野さんの応えは「山楽に興味を持ちました。」、東島「どうして?」、立野「山雪は装飾的な美観を駆使し隙間なく埋めていっているという感じでしたが、山楽は空間を絵画の問題として考えているという風に感じたからです。」という会話でした。
 ここにはベテランと若手アーティストとの会話が成立するのですが、はたしてその眼前の卵たちにとってはどのように映ったのでしょうね。
 きっととても難しくハイブローな話に聞こえたのではないでしょうか。でも私にはそんなに難しい問題ではないように感じられました。
 まだ私も見に行っていないので、立野さんがなぜそう感じたのかを知りたいとだけ感じました。画像では下記のような違いが見えますが、実際にどう感じるか人により体験量によっても違います。


重要文化財 牡丹図襖 狩野山楽筆 京都・大覚寺蔵(4/23~5/12展示)









重要文化財 蘭亭曲水図屏風部分 狩野山雪筆 京都・随心院蔵




 しかし、絵の題材ですらスマホで検索したり、スマホの画面を参考に描く彼らは、やはり多くがその後気になった部分をスマホで検索して済ませてしまわないか心配に思えました。勿論無関心でいるよりはずっとましですが、バーチャルな情報はあくまで実際を体験するための索引であり、その域を超えません。絵画という生を見、音楽という生を聞くことができる現代の豊かさを忘れ疑似的環境に満足していては、実物の絵画がますますわからなくなるのではと心配になります。

 きっと立野さんにすれば「実際にものを見てきましたがみなさんはご覧になってどう思いますか?」という問いかけとともに、「みなさんも実物を見れば、画家が画面上でどのように絵画の問題を扱っているかが実感できるのではないでしょうか。」という示唆もあったのではないでしょうか。

 実際の授業中にはなかったですが、ここに図録やパソコンで見た知識だけの議論でも登場すると、両者には大きな溝のある会話が成立してしまいますよね。それを想像するとうすら寒い感じが起こってくるのです。
 でも教員である私も、時々それに似た会話を進めてしまうことがあるので、若い立野さんの短く峻烈な言葉に、彼女の成長した姿を嬉しく思うとともに「はっ!」と深く反省させられた次第です。

 私は立野さんの遠慮がちな言葉を聞き、恥ずかしながら遅ればせでも見に行かなくてはと思いました。皆さんも時間が許せばいろんな生の絵画を体験してみてくださいね。(Y)