白梅香るたおやかな季節となりました。いいかおり…。
さて今日は富士山の麓、静岡から展覧会のお知らせです。
一つは静岡県立美術館で開催中の「石田徹也 ノート、夢のしるし」展と
MOA美術館で開催中の「尾形光琳燕子花と紅白梅」展です。
全く赴きが異なりますが、近くでお住まいの皆さんはぜひご覧になるといいでしょうね。
まず「石田徹也展」から
「石田徹也 ノート、夢のしるし」
2015年1/24~3/25
静岡県立美術館
昨年の9月から足利市立美術館をかわきりにして、全国巡回。最後静岡での展覧会です。
皆さんご存知かと思いますが、
作者の石田さんは、1973年静岡生まれ。2005年踏切事故で亡くなられました。
31歳という若さでした。
翌2006年、生前に彼の活動を支援し続けた人々によって追悼展が開催され、一連の動きがNHKの新日曜美術館で放送されて大きな反響をよび、沢山の視聴者によって石田ファンが誕生しました。この全国巡回で、石田作品は1984年の幼少の頃の絵から最後の絶筆まで約157点にのぼる作品が展示されています。
(下の作品写真はすべて静岡県立美術館ホームページより抜粋)
《居酒屋発》
1995年
|
《飛べなくなった人》
1996年
|
《燃料補給のような食事》
1996年
|
「とにかく、かく」が、創造の秘密だった
(自分の絵には)いつもこの男の人が出てくる。
自画像じゃないんですけど…。
普段生活しててもそれは日常じゃないですか。
それとはちょっと違う視線で見たら
どうなるか、という…。
描きたいって思うとかじゃなくて、
ずっと描いている。
ずっと、だらだら。
自画像ではないと書かれていますが、じっと鑑賞していると、石田徹也さんご自身のようにも見えきてとても苦しい、切なく感じます。
展覧会図録で、江尻潔氏は『「痛み」としての地図』という文章のなかで、
「石田の場合、成長段階における外傷もさることながら社会に出る事により、生じたさまざまな傷が作品のモチーフになっていきます。一言でいえば、自己疎外による傷です。」
と、書いています。
見る人によって漫画的でブラックユーモアーがあると、笑い飛ばす人もいるでしょう。
しかし、しかし。
わずか31年の人生。
武蔵野美大を出て10年。
恐ろしく精緻な絵画を延々描き続けた、怖いような集中力が絵画から伺えます。
私は会場を後にしたとき、思わずへたり込むような脱力感がありました。
重たいわ。
画家になる覚悟で「とにかく、かく」ことを最優先にした石田徹也さん。
彼の創造の秘密が、発想源が、展示会場にある、アイデアノートやコメントのなかに見つけることができます。
《捜索》
2001年
|
サイズは100号Pサイズ。恐ろしく美しい。
アイデアノートより。 ぜひ美術館で自分の目をとおして、ゆっくり鑑賞されることをおすすめします。 さて次は 静岡の温泉地にほど近いMOA美術館では光琳没後300年を記念して国宝展を開催中。 これも必見ですね。 |
尾形光琳300年忌記念特別展「燕子花と紅白梅」 光琳アート -光琳と現代美術-
2015年2月4日(水)~3月3日(火)
MOA美術館
明日で終わりですけど。
もっと早く紹介しておいたらよかった!
MOA美術館では
梅の季節の2月には恒例、光琳の紅白梅図が年に一度展示公開されているというのは知っていましたが、燕子花図とともに二大国宝が一緒に展示とは!!!
没後300年いう特別な年だからこそ実現できたことですね。
(作品写真はMOA美術館ホームページより抜粋)
説明を追加 |
国宝 紅白梅図屛風 尾形光琳 MOA美術館蔵
江戸時代 18 世紀
|
国宝 燕子花図屛風 尾形光琳 根津美術館蔵
江戸時代 18 世紀
|
金碧屏風に青々とした葉っぱや群青の花びらが見事に効いています。
月下紅白梅図 杉本博司
平成26年
|
古いものを現代の感覚でよみがえらせる杉本博司ならではの作品です。
静岡って、
富士山があって、海にも近く魚もおいしい。鰻の養殖もさかんで、お茶、みかんもあって、食材が豊富。それに美術館がそろっているから文化度も高い。
県自体がとても良質な感じがしますわ。
9月には家康公400年祭りがあるとのことですが。
駿府といえば、徳川に始まり、徳川に終わる?
家康も15 代将軍慶喜もここが終焉の地でしたね。
なんか盛りだくさんの県だなと思いました。
追伸。この二大国宝の紅白梅図と燕子花図は今度は6月に東京の根津美術館で開催されるそうです。なるほど。MOA美術館では紅白梅図を所蔵。根津は燕子花図を所蔵していますから、季節が巡れば、6月は燕子花。根津美術館ということでおあいこですね。よかった!皆さん見られますよ!
では次回はいよいよ、通信卒業制作展のご案内を。
お楽しみに。(K.)